会社概要
社名 | 株式会社 丸三金属 |
代表者 | 代表取締役社長 成瀬一晴 |
設立 | 1955年(昭和30年) |
本社所在地 | 愛知県安城市浜屋町屋敷山25番地 (〒446-0006) |
天津協力工場 (資本関係無し) | 天津九東機械配件有限公司 |
カンボジア協力工場 (資本関係なし) | Marusan Plastic (PhnomPenh) Co,.Ltd |
資本金 | 本社:1600万円、天津:50万元、カンボジア:50万USドル |
従業員数 | 本社:115名、天津:30名、カンボジア:25名 |
主な取引先(敬称略) | ㈱JTEKT、カネソウ㈱、㈱東海理化、林テレンプ㈱、 太平洋工業㈱、井上技研㈱(アイシン精機㈱)、日本IAC㈱、 豊田通商㈱ |
経営理念(VISON)
『お客様に選ばれる会社になろう』
方針(AIM)
『若手元年、自分達の砦は自分が守る』 ~サブタイトル『自分が責任もってPDCAを回す』
1)誰(外国籍)でもわかる品質管理、DとCを重点。
2)源流から不良を流さない4M(人・機械や型・管理表・材料)管理。
3)不良率低減により、不要なものを排除してスリム化。
4)バックアップ工場の有効活用と其の粗利黒字化。
代表者
代表取締役 成瀬 一晴 president Kazuharu Naruse
「ごあいさつにかえて」~なぜカンボジア?~
当社は本社(愛知県安城市)、天津工場(中国天津市)の他に、カンボジアに工場がありますが、よく「なぜカンボジア?」と聞かれますので、お話したいと思います。
当社の海外進出の第一歩は、バブル崩壊後の中国でした。当時、仕事が激減し、中国で販売の活路を見いだそうと、1995年に天津工場、2000年には上海工場を設立。しかし、2004年、上海工場の経営者(上海人)にコピー工場を作られ、何とか阻止しようと裁判を起こしました。
天津工場・駐上海日本領事館・JETRO等の協力もあり、無事2006年解決いたしました。この時、世間ではまだ中国進出ラッシュの最中でした。
その後、JETROチャイナプラスワンのベトナム視察ミッションに参加し、ベトナムで試験的にレンタル工場を稼働させました。そして、2011年3月11日の震災を受け、東海地区にも地震がくる可能性を考えて、バックアップ工場を本格的に検討し始めました。
検討には上海での経験を生かし、①ナショナルリスク、②人的リスク、③金融リスクの3つのリスクに重点を置き、最優先にベトナムを考えましたが、その時ちょうど、通貨交換引き締め政策を行っており、試験工場も着金送金に苦労していたので、ベトナム進出には二の足を踏みました。さらに、インドネシア、カンボジア、ミャンマーを視察しました。すでに自動車大手の進出があり、土地購入に2年もかかるインドネシアと、電気通信を始めとしたインフラ整備が遅れているミャンマーを除外すると、残るはカンボジアです。
カンボジアは、親日で治安も良く、日系レストランや大手ショッピングセンターも進出しており、現地の人も温厚な仏教徒で、親近感も覚えます。社員が常駐するのに良い環境だと思いました。金融面でも流通通貨がUSドルで送金なども簡単にできるところが大きなメリットでした。開発区は、いざという時の復旧を考え、日系のプノンペンSEZに決めました。 もちろん、良いことばかりでもありません。中国ほどではありませんが、役人の汚職もあります。教育も行き届いておらず、労働生産力はベトナムの70%程度、電気代はベトナムの2倍強、物流費用も決して安くありません。
そんな環境の中でも、しっかりと当社の生産をバックアップしてくれています。今後、カンボジア工場ワーカーの日本研修や、さらなる生産移管を進めていきたいと考えています。
丸三金属のこれから
当社は先々代の機織り絵付けから、先代の板金工作機械、そして私のニッチな自動車部品・建築部品と会社を変貌してきました。 昨今ニュースで欧州の電気自動車が話題になっていますが、当社も次の世代へどのように変貌していくのか、またしていかなければいけないのか、想像し、想定し、対策を打って行くようにしております。
井戸掘り理論「経営者は自らのリスクと労力で井戸を掘り、水が出なければまた出るまで探す。水が出たならばスタッフが、綺麗なまま、冷たいまま、美味しいまま、お客様に喜ばれる方法を考え実施する。ワーカーさんはその汲まれた美味しい水を、こぼさないように、ぬるくならないように、綺麗なままお客様に提供する。」 これを常に念頭に置き、次世代につなげていきます。
沿革
1959年(昭和34年) 安城市浜屋敷山に移転
1968年(昭和43年) 豊田工機㈱殿(現 ㈱JTEKT殿)の研削盤製作開始
1974年(昭和49年) 自動車設備機械の設計製造・販売開始
1980年(昭和55年) 株式会社丸三金属設立
1984年(昭和59年) 自動車用押し出し製品の部品生産開始
2000年(平成12年) 独・Bayer社特許設備にて超高圧フィルム成形開始
フィルムインサート射出成形開始
2002年(平成14年) フィルムインサート成形品を自動車部品に採用
2005年(平成17年) 在天津日系自動車企業に木目調フィルム成形品納入開始
2009年(平成21年) 超高圧空フィルム成形設備にて自社オリジナル開発
トヨタ殿向け電波透過ドアハンドルに採用
2010年(平成22年) 日刊工業新聞モノづくり部品大賞自動車部品賞受賞
2013年(平成25年) カンボジア・プノンペン経済特別区に工場設立
2014年(平成26年) MarusanPlastic(PhnomPenh)のラインオフ
オーストリア・タッチパネル式フィルムインサート成形のライセンスを受ける
2017年(平成29年) 愛知県知事より「愛知ブランド」に認定